別冊

ぼんのう

〜 第二回 〜

自分語りを語る

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おそらく1984年頃

 

何も語りようのないところから

 

自分で曲を、特に歌詞を書いて歌うという事をやっていると、意図するかしないかに関わらず「自分」というのは曲中にーその分量や密度は曲によって異なるがーどこかに入り込むものだと思っている。

曲作りにおけるセンスとか好みとかを別として、俗にいう「私の内面」というものだ。それを意図していない時などは、数年後にその曲を改めて眺めて自分で驚くこともある。

書いている時点ではまったくのフィクションとして書いていたにも関わらず、そこにはやはり自分の人生観でも恋愛観でも社会に対する受け止め方でもなんでもいいのだが、そういうものが入り込んでいるものだ。まぁ、それが「人が何かを表現する」ということなんだろうから、当たり前だけど。

 

それとは別に、意図的に「自分はこういう人間です」とか「自分はこういう考えです」とかもっと簡単に言ってしまえば「昨日こんな経験をしました」を歌にしようと思って曲を書く場合もある。

この点に関しては、作者一人一人で扱い方が異なるだろう。

そういう「私」の存在を可能な限り排除して曲としての独立したものを描こうとする人もいれば、あからさまに「自分はこうだぜ」って事をストレートに書く人もいるし、曲によってそのさじ加減を変えたりもする。

 

まぁ、そういうのは後になって自分が実際に曲を作り始めて、でも一体どうやって書けばいいのかと思いながら色々な人の歌詞の書き方を考察して気が付いた事だ。

 

ちょっと、このへんの話をしていくとどういうテーマの内容であっても、アプローチのバリエーションが豊富なので、それはまた別の機会にでもと思うが、今回はこの「自分はこうだぜ」「こやって生きていくのが自分です」みたな事を前面に出した曲に関することにフォーカスしてみたいと思う。

 

僕が「自分で曲を書いて歌う」という事をやりたいと思ったのは、最初の頃はおそらく「自分語り」がやりたかったのだろうと思うのです。

「自分の視点を持って世の中に抗議する」とか「自分がどんなふうに生きていくのが素晴らしいと思ってるか」等、要するに当時流行っていた歌謡曲風な作り事の世界ではなく、いわゆるフォークシンガーとかロックンローラーの一部の人たちがやってたような、「自分の生活の中から生まれる、自分自身の事を表現する」みたいな事。

 

これはまず第一には、ジョン・レノンがビートルズ時代に例えば反戦運動やヒッピームヴメントの盛り上がってる最中に「Revolution」という曲を書いたんだという話を知ってとか、解散後の数年間に発表した曲の中に、実の母親と死別したり失踪した父親に向けて歌った曲とか、ビートルズそのものと決別するような曲や、そしてなにより、自分の奧さんに向けてのラブソングを歌ってたからというのが大きい。

 

「あ、この人って自分の事を歌ってるんだ」という発見と、そんな会ったこともない人が歌っているその人の「自分の事」を聴いて感動したり胸ときめいたりしてる。そのインパクトは当時の自分にとっては、いわゆる流行歌のお気に入りの曲(それはそれで楽しかった)を聴いてるも時の比ではなかった。

 

そこに付随して、テレビの歌番組とは別にラジオから聞こえてくる吉田拓郎とかも(今聴いていると、とくにそういう曲が多かったわけでもなく、彼もまた色んなさじ加減で創作をしているのがわかるんだが、当時は耳に入ってきたイメージで「この人は全部自分自身の事を歌っている」という思い込みがあったんだな)、そういう部類に入るかもしれない。

なんかこう、「生き様」がわかりやすく見えて、若干世の中に対して反抗的な空気のキャラクターに惹かれたんだろうね。

そこにビートルズが世界中の女の子からキャーキャー言われてたとかもごちゃ混ぜになって「コレやったら自分もかっこよく見えて人気者になれるかも」というのも当然くっついて来たわけだが(笑)。

 

とにかく、それまでの気に入った歌を聴いて歌って楽しむというのが、「自分も曲を作りたい」と思うようになったのはこの「自分を歌う」ということに惹かれたのだと思う。

 

ただ、いかんせん、そうした思いはあるものの、当時12,3歳くらいだった自分には、歌うべき人生観も、それを見つけるための経験も、当然それを形にできる技量もなかった。学校と自宅周辺だけが世界の全てで、あとはニュースで世の中の事を見聞きする程度である。

自分自身を歌おうにも何も題材がなく(大人はずるいみたいな歌はできたかもしれないが、それは「カッコ悪い」と思っていた)、まだ世の中に本格的に参加していない立場である。

まぁ、当時はそういうふうに捉えてたわけではなくて、自分の作りたい歌がどうやっても浮かんでこないな~、まだ下手だからだな~と思ってたんだが…。

 

 

初めて自分の事を歌ったのは定番の「失恋」

 

そんなこんなで、最初の数年間はギターでいくつかのコードを覚えてちゃんと弾けるようになることと、とりあえず曲のようなものを作ってみることに費やす。

ジョン・レノンや吉田拓郎のような内容の歌詞は、どう真似てみようと思っても書きようがなかったので、当時でいうと、さだまさしとかアリスとか、初期のビートルズというかそのあたりのポップな曲調での、大雑把にいうと「君が好きだ」とか「君と別れて悲しい」みたいな歌詞を真似て書いていた。もちろん、その中に当時好きだった女の子の事を込めているつもりもあるのだが、実際には何一つ反映されていない。ただの出来損ないの真似事だ。つまり、自分の言葉というものが何もなかった。

 

それが不思議なことに、40歳を過ぎたあたりで思い返すと、そういう時期にひょっこりとある曲が生まれていたのである。

『旅人のうた』というタイトルをつけたその曲は、多分ポールマッカートニー&ウィングスの『夢の旅人』の真似をしてみようと思ったのだろうと思うが、当時まだ自分の中に何も持っていない状態でちょっと「こうやっていきたいよな~」みたいなものが自然と出ていることに気がついた。

そこからは、次々と自分自身を描けるようになったと書ければカッコいいのだが、そううまくはいかない。その先も人様の真似事と借りてきた言葉の曲が続くんだけど、思えばこの『旅人のうた』という曲を書いた頃に「ずっと自分で曲書いて歌っていきたいな」と思ったのだから、無理やり意味づけしようと思えば、その頃に何かしらの変化はあったんだろうなと思う。

 

それから約1年後に、自分の経験を一応歌として成立できるように仕上がった曲ができる。

最近ではそういうことは少ないのかもしれないが、当時のシンガーソングライターの多くが言ってたように、それは失恋から生まれた曲だった。だから、きっかけとしては定番中の定番だ。

 

高校1年の終わり、同じクラスの女の子が好きだったのだが、詳細は省くが失恋したのだ。

家に帰ってきて、気持ちがどうにも落ち着かずギターをかき鳴らして怒鳴っているうちにできた。

具体的なエピソードをさほどいれているわけではないが、100%自分の経験から生まれた曲であった。そして、特に意識したわけではないのだが、その曲調は吉田拓郎がジョン・レノンの曲を歌ってるみたいな感じである。

できた時にはなんかこう、妙な達成感と「自分にあった悲しいことで歌書いて喜んでるんだな」みたいな複雑な心境であったんだが、基本的に歌を書いて歌うってのはそういう自虐的なというか道化的というかとともに、セラピーや昇華や自己解釈とかまぁ色んな事が言えるものだなと思う。それはまたいずれ。

 

とにかく、この曲を書く事でコツを得たのかもしれないし、それは単に年齢的なことかもしれないけれど、それ以降はわりと「自分の事」が書けるようになったかもしれない。

まぁ大抵は好きになった女の子に向けてであったし、その子に聴かせたら喜ぶように(実際には恥ずかしくて聴かせられないのだけれど)、その子が好きなアーティストの曲調を真似たりして書いてたんだが。

そこで、その誰かの曲調を真似る、もっともらしい表現に直せば「取り入れる」ということも中学生の頃の真似る作業をさらに強化することになり、ギターを初めてからまともに人の曲をコピーしたりカバーしたりしたことのない自分にとっては、その代わりになる練習となっていたようだ。

このおかげで、「誰々の曲調」とか「誰々の歌詞の書き方(視点とか構成とか)」などを分析するというマニアックな癖が身につき、これが後に「自分語り」をストレートには押し出さず、音楽を楽しむという自分のスタイルにつながることになる。

この辺りの事をやっているどこかで、「あ~、拓郎も別に全部あの人そのものではなんだな」という事を理解していく。そして、それを面白いというか、これは単純な話ではないなと思ったのだった。

 

ちょっと話が逸れてしまったが、そうした高校時代を過ごし、その最後には『旅人のうた』で意図せずにやってしまった「こういう風に生きていきたいな~」みたいな事を意識的にテーマにした曲が書けた。ここでまた引き出しを一つ増やしたわけなんだが、ここら辺からそんなに「自分語り」のみをやろうとも思わなくなってきたような気もする。

 

 

自分は滑り込ませる

 

さて、高校を卒業した後に大学のサークルに所属してからまともにライブ活動することになったのだが、若干その「自分語り」の方法もバリエーションを増やしつつ(自己批判してみるとか、日常のエピソードをネタにするとか)、気持ちは念願だったバンド活動の方に向く。

初めてのバンドは19歳の頃に結成。解散後に数年のブランクを空けて別なバンドを作ったので、今までで二つのパーマネントなバンドを経験している。

特に意識していたわけではないのだが、この2つのバンド、いずれも自分のオリジナル曲がメインのバンドで、特に曲を持って行ってメンバーに却下された記憶もないのだけれど、バンドでやっている曲に関しては「自分語り」が影を潜めている。

 

2つ目のバンドをやっている時は、その間に宅録でソロの作品集も作っているのだが、そこでは自分語りの曲をメインにしているので、もしかしたら何か自分の中で「バンド向きか否か」という判断をしていたのかもしれないけれど、まったく記憶にない。

 

もちろん、冒頭で書いたように、自分のなにがしかは曲の中に出てはいるのだが、「オレはこうだぜ」という感じではないんだな。

何か個人的な事柄は、曲の中に滑り込ませているのだが「これが自分です」という匂いが薄い。

まぁ、これは作っている者の感覚的なことなんで、他の人がどう解釈するかはまた別な話ではあるけれど。

 

そうした、バンドでの経験や「色んな曲調を分析する」「バリエーションを増やす欲求」などが重なって、その後の「自分語り」は「自分を語ってるように聴かせるけど、その配合は色々ですよ」という、作り方を楽しむものになった。

 

 

材料を揃えて料理を歌う

 

さて、最近というかここ10年前後の「自分語りの曲」について。

聴いた印象は人それぞれなのであまり特定はしたくないが、おそらく人が聴いて「これ、自分の事歌ってるんだろうと思うだろうな」とこちらが考える曲は、色々ある。

よく歌ってるものとしては『自画自賛』『理由はいらない』『ウキウキライフ』『単純なもんさ-男の子の歌-』『さすらう』『情熱』あたりかな?

 

ただ、これらの曲が100%自分自身かと言えば「?」である。

ここには「本当の気持ち」「体験などによる事実」「曲や歌い回しのノリを優先させた言葉」「こういうふうに見せたい自分」「自分がこうっだったらいいなと思う事」「気持ちを伝えたいために作った事実ではないエピソード」など、いろんなものが材料としてある。

 

以前にブログでも書いたが、「自分語り」ではなくとも、曲作り全般においてそういうものである。

もっと言えば「自分語り」というテーマそのものですら曲作りの材料の一つである場合もある。

なんと言えばいいのかよくわからないが、始めた当初は「自分を語る事」が表現ということだと思っていたのだが、自己表現というのはそんなに一筋縄ではいかないというか、もうちょっと違うもんだなと今は思っている。自分で理解把握していることと表現によって現れるものは別物といってもいい。

 

簡単に言うと、曲を書いて出てくるものに自分で面白がっているという事だ。

材料を揃えて、料理したものを食べたいだけと言ってもいい。

 

なので、曲によって

①事実をベースに、作り話を大さじ二杯、理想を30mg、そこに語感をふりかける

②語呂合わせの添え物として、「自分語り」で出汁をとり、事実を溶かし込んで、妄想でカラッと揚げる

みたいな事をね、それで「季節の語呂合わせ自分語り風」とか「自分語りの塩焼きに妄想を添えて」とか「本日の定食はレゲエビートの理想像(自己主張のスープ付き)」とかを作っている。

意識しているわけではないのだが、結果を振り返ると作業的にはそのような事を都度やっているようなものだ。

 

まぁ、こうなってくると「自分語り」の話だけではなくなるので、それはその内に改めたいのだが、最近の書き方を説明しようとすると、どうしても全般の話になってしまうのは、先ほども書いたように「自分語り」が目的の全てではなくなっているからなんだろうなと、書きながら気がついた。

 

今ではそんなに「自分がこういう人間です」なんて事を誰かに伝えたいとは思ってないのでしょう。それよりは、出来上がった歌を聴いた人自身がどういう受け止め方をするかってことの方が大事というか、う~ん「元気になった」でもいいし「こういう物の見方もあるんだな」ってのが役にたってもいいし、単純に「笑った」とかね。

料理の例えで言うと「美味しかった」とか「栄養になった」とか「これ自分で作るならどんな味になるかな?」とか、なにかそういうものであればいいやって感じになっている。

 

なので、このテーマを選んだことが失敗だったかなと思うが(笑)、こうやって自分を理解していくにはいい機会でございました。