• 辻正仁

#004 ALL THAT JAZZ(1979)

更新日:3月4日



おそらく、この映画が僕が初めて家族や友人とではなく「たった一人で映画館に行って観た

映画」だ。多分、観に行ったのは80年の後半か81年の前半。中学3年生か高校1年のどちらか。封切りではなく、古い映画や、封切りから半年後の作品をリバイバル上映する『テアトルポー』という映画館が札幌駅の地下にあり、そこへ観に行った。たしか500円くらい。

レンタルビデオもDVDも配信も存在しなかった時代の素敵なシステムである。

封切り前の事。単純に、新聞広告だけを見かけてこの映画が気になっていた。なんせ一行程度のよくある宣伝文句(内容に合致していないことが多々あるし、実に抽象的な)とタイトルとワンカットだけの写真を観て心惹かれた記憶がある。

きっと、音楽映画だと思ったんじゃないかと思うのだが、その時の判断基準は今では記憶にない。

そしてそれから半年から1年後くらいにまた新聞広告でその『テアトルポー』での上映がある事を知って、その時にどうしても観たくてしょうがなかったのです。何故なのかはまったく覚えてないというか、さしたる理由はなかったのかもしれない。


正直、家族や友人と観て楽しむタイプの映画ではないのだが、そんな内容だともわからないうちから、友人を誘うこともなく一人で観に行ったのも、記憶のなくなった今では解せない話である。なぜ、そんな行動を取ったんだろう? まぁ、正解だと思うけど。


そして、レンタルビデオが普及し、DVDが販売され、配信でも楽しめるという現在に至るまでの様々な時代で繰り返しコレを観ている自分がいるのだが、そうなってみて観るたびに毎回思うのは「15、16歳の自分がコレを観て理解したことや解釈した事ってどんな事なんだろう?」という事である。全然覚えてないけど、おそらく勝手に想像していたのと全く違う内容だったはずで、観終わってから、まったく理解できなかったとかつまらなかったという事であれば、その後何度も繰り返し観る事はなかったと思うのね。


機会があれば当時の自分に感想を聞きたいところだ。

これもまた曖昧な記憶なんだが、例えばテレビドラマや漫画などで、多少主人公の夢とか妄想のシーンがあたかも現実のようにして挿入されるというのは体験しているにしても、こんだけ現実のドラマと主人公の内面世界(簡単に言えばね)とさらにそこに現実世界で主人公が編集作業している映画のシーンやセリフが何の説明もなく入り乱れたりリンクしたりしている構成のものを観るのも初めてだった筈で、初めて観た時にそれをすんなり理解していたのかどうかもアヤシイ。


後々になって自分の嗜好が確立されるようになると、この手の構造を持っている作品が好きだって自覚はあるんだが、そういう性分だから初めて観たこの映画を好きになれたのか、この映画が何らかのインパクトがあって、そういう好みになっていったのかもちょっと判断できない。


さらに、主人公は表現者としては天才的な才能の持ち主だが、人格的にはクズである。15歳の少年がこの主人公に魅力を感じていたのなら、将来がかなり心配だ。

そしてその将来がこの私です。


先ほども書いたように、リバイバル上映で観たものだから、パンフレットなどもないし、まだ当時は映画雑誌なんてものも読まないし、時代的にも年齢的にも作品の背景や解説などの情報を得る事はなかったのだ。現在のようにタイトルで検索したら必要以上の情報が得られる時代ではなかったし、日を改めてもう一度観てみるなんて手段も(もう一度上映期間中に映画館に行く以外は)なかったのだ。

なんの情報もなく、ただ作品とされて提示されたソレを受け取って、自分が感じるままの事を、感じたように解釈していかなければならない時代というのは、それなりに幸せな日々だったかもしれない。


この作品の脚本と監督を担当したのがボブ・フォッシーという人で、自分の死期を意識して作った自伝的な作品であるってことや、その際にフェリーニの『8 1/2』にインスピレーションを受けた事も、彼が何やってた人かも(後に映画『レイニーブルース』の監督としての紹介を読んで「あ? ALL THAT JAZZで出てきた編集作業してた映画はコレなのか」って気がついたり、「マイケル・ジャクソンのダンスってこの人の振り付けをヒントにしてたんだ」って事も知る事になる)、後になってわかってきた。そして自分が歳を重ねた経験で、自分なりに「人間」というものの理解を深めていきながらこの作品を見ていると、いろんなシーンで少年時代にはおそらく気づいてなかったであろうものがあるんだな。


で、そうこうして観ていると、この作品は作者自身の「表現やエンターテインメントに対する激しい情熱」とか「人としてのロクでもなさに対する後悔や懺悔」だったりするんだなって事も理解してくるんだけど、ふと考えると、そういう自身の才能に対する評価も近親者を傷つけていくダメさ加減も自分の恐れや葛藤も全部まとめて「エンターテインメント作品」にぶち込んで、ひとつの商業映画を作ってしまうっていう「業」みたいなところに行き着いて、なんかちょっとエグいし、悲しいし、感動すらする酷い作品だ。


だって、自分で自分の内面の独白や、ダメダメなところを脚本にして、演出して、何テイクか撮ってどれがいいか選択してとかって作業をやってるんだよ? ちょっと怖いってか、そう考えるとなんか太宰に近い気もするな。


と、ここまで考えてみて、結局最初の方の疑問に戻る。


果たして、なんの情報もなく人生経験もほぼなかった、そしてこうした複雑な構成の作品を初めて観た15歳前後の少年は、どんな解釈をして何を感じていたのだろう? 後々何回も見返すほどの魅力を感じたのはどういうところだったんだろう?

コレ、見返す度にこれからも毎回思うんだろうな。







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