高校生の頃にTVで小林克也がMCを務める、アメリカのヒットチャートを紹介する番組があってね。このアルバムとマイケル・ジャクソンの”スリラー”は確か同じ年に発表されたと思うんだけど、この2枚の作品はほぼ一年間、もしかしたらそれ以上、毎週チャートに入っていてタイトルをコールされていたような記憶がある。
克也さんのあの声で「ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース、スポ~~~ツ!」って。
なんかその「スポーツ」の言い方が独特というか、なんか明るく抜けるように言うんだよね。丁度、サッカーの実況が若干軽めに「ゴ~~~ル!」とか言う感じで。
毎週なものだから、今でも脳内で再生できるくらい。
おそらくその響きは、当時番組を観ていた者には刷り込まれているのではないかと思う。
だから、その数年後に職場の飲み会かなんかで、オリンピックのスーパースターだったアスリートに引っ掛けて「カール・ルイス&ザ・ニュースの」なんてボケた時に、同僚があの克也さんのトーンで「スポ~~~ツ!」ってかぶせて来て、爆笑が起きたりしたもんだ。
さて内容はと言うと、僕個人は発表された当時、そんなに入れ込んだ記憶はない。
嫌いではなかったけど、ヒューイ・ルイスの歌声やあのサウンドのどっか能天気な感じというのが、当時の自分が求めるものではなかったと言うのかな? もう、何を歌ってもあの歌声ってロスだかサンフランシスコだかのカラッと晴れた青空だからね。
たまにしっとりした楽曲が混ざっても、それはスコールみたいなもんだから。
それなりの苦労人のはずなんだが、出てくる音にそれが微塵も感じられないのが、まぁ今考えると凄いことだなと思うけど、高校生のぼんずはそういうふうには受け取らないよね。
先述の番組で紹介されてたPVとか観ても、なんかトボケた風味の明るいオジサン達に見えてたし。
だからね、あくまでも好みの問題として、自分の中では同時期のスプリングスティーンとかプリンスとかU2なんかよりも格下の扱いをしていたワケですよ。面白かったけど興味をもてなかった。申し訳ない。
で、先日。とあるバーで店主と話をしてる時に、そんなヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのベスト盤かなんかがずっと流れていてね。それはベストだからこの後にヒットした”パワー・オブ・ラヴ”とかも入ってるんだけどさ。そうした曲を聴いている所々で、頭の中で小林克也の声が響くんだ。
「ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース、スポ~~~ツ!」って(笑)
それで、アルバムを何十年かぶりに聴き直してびっくり。
全曲覚えているどころか、曲順まで感覚的に覚えてた。ある曲が終わりに差し掛かった頃に次の曲のイントロのがもう予想できてるんだよね。
ヒットアルバム恐るべし。
うん、今聴いてもやっぱりカラッと明るくて能天気だ。
これがヒットしていた時代、世の中はバブルの好景気に差し掛かっており、僕も若かったし、もう「世の中は嬉しいことだらけ」みたいな空気だったような…。
いや、それは錯覚なんですよ。
当時だって嫌な出来事はあったんだ。社会情勢にしろ、世界情勢にしろ。もちろん、若さ故にそういう全てを他人事として浮かれている自分もいたんだろうけれど、でも個人的にだってその若さ故に悶々としてたり、なんらかの不安はあったんだよ。
でもさ、このアルバムを今聴き直した時に起きるこの錯覚は、なにかのマジックなんだろうね。この人たちの能天気さ、快活で明るくてハッピーな感じが、当時の空気の象徴だったように思えてくる。当時そんなに熱心に聴いてたわけでもないのに。
「明日はいいことしか待ってない」って思えた時代があったよな~っていう、本当にあったわけでもない過去を懐かしく思い出してると言う、訳の分からない現象が起きる。
大体、このアルバム、なんでこんなに自分の中に染み付いてるんだよ?
それで、内容聞いてもなんで”SPORTS”ってタイトルなんだかわからないんだよ。
さらにこのタイトルなクセに、ジャケットがおっさん達がバーで佇んでるだけなんだよ。スポーツしてないじゃん。で、なんかそのおっさん達がどうもロクに仕事もしないで飲みに来てる人たちに見えるんだよ。
と、思ったら、そのバーのテレビに映ってるのがスポーツ中継番組らしいことに、今気がついた。
もしかしたらこのアルバム、これまでのイメージとは違って、単なる能天気なアレではなく実は何やら奥深いものが秘められてるんじゃないのか?
って一瞬思うんだけど、だめだ。
その思考が遮られるんだよ。
音を聴いていても、ジャケット眺めてても、頭の中で小林克也の「ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース、スポ~~~ツ!」って声が鳴り響いて、全部どうでもよくなる。
「あぁ~、もうこれでいいや」って。
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