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  • 執筆者の写真辻正仁

#017 The Subway Recordings / Susan Cagle(2006)


この人の音楽好きだな~と思っていても、いつの間にか動向がわからなくなる人って結構いらっしゃいまして、スーザン・ケイグルさんもその一人。

どうも、その後名前を変えて活動してるって言うのは聞いてたんだけど、肝心の音楽が耳に届かない。

コレを書くにあたって、最近どうしてるのかと思って調べてみたら、一応SNSとかYouTubeでアカウント見つけたけど、あんまり作品出してないのかな?

名前も元に戻したんだか、改名したまま続けてるんだかちょっと判別がつかなかったけど、当時よりは恰幅がよくなっていた。小柄で華奢な子だったんだけど。


このアルバムが出た当時は、誰彼構わずお知り合いに推薦していたな。それで今回「たまには最近の作品も紹介してみようかな」と思って選んでみたのだが、もう20年近く前なんだな。時の流れと言うのはまったく…。


とにかく、大体2004年あたりから2007年くらいというのは、俗に言う『一発録り』という作品が耳を引く時期だったと記憶している。つまり、スタジオかどっかで演奏者が「せーのーで」で一緒に演奏してそのまま録音したやつね。

そしておそらく僕の時間の流れはその辺で止まっている。だから最近の作品だ。


『一発録り』って要するに制作方法が昔に戻ったと言えばそれまでだけど、多分ね、なんかみんな疲れちゃってたんじゃないかなって気がするよね。ごちゃごちゃと音を重ね合わせたり、細かく作り込んでいくような音に。少なくとも僕はそうであったんだろう。この時期に自分が気に入る作品というのは、調べてみると大抵『一発録り』だった。

「なんだ、こっちのほうが全然いいじゃん」というような事を再認識してた時期でもあった。


いや、2000年代に入ってからの技術の進歩というやつもあるから、厳密には昔通りの録音方法ではないだろうし、ある程度の補正作業とかはしてるんだろうけれど、基本的には「その時、その場で演奏された空気をそのままお届けしましょう」という理念で制作されるものが色々と発表されてた時期だし、最近あまりそういう触れ込みの作品がないのは、廃れたのではなく、それをウリにするほど珍しくもないくらいに定着してるんだろうと思う。


そんな自分にとっての『一発録りブーム』の最中に聴いたのがこのアルバム。

ニューヨークの地下鉄駅構内でストリートライブやってた女の子が、たまたま地下鉄を利用してた音楽プロデユーサーに見染められてメジャーデビューしましたっていう。

それでその最初のアルバムとして選んだ方法が、地下鉄駅構内でのライブ録音っていう、映画になりそうな話だなと思ってたら、その何年か後に『はじまりのうた』という映画で似たような方法でデビュー作をレコーディングする話をやっていた。


そいうアルバムなのでですね。地下鉄の音とか、雑踏の音とか入りまくり。エコーはそのまんま駅構内の反響音だし、決して音質の良い作品ではない。でもちゃんと歌ってる人の人物像が浮かび上がってくるというのかな。自分の好きな音って「技術でどうこういう問題じゃないんだな」っていうのが、これ聴いてよくわかった。


そういえば、昔の本当に『一発録り』しか録音のしようがなかった時代の作品って、じっくり聴いてるとなんかよくわからんけど、物がぶつかる音とか、椅子かなんかが軋む音とかが聴こえてきて、ちょっとときめいたりしたもんだけど、そういうノイズが入り放題のアルバムだよね。



この作品が出た当時って、僕はこじんまりしたFM放送局で番組をやっていたのだけれど、ちょうどプロモーションで彼女が札幌に来て、何箇所かで路上ライブもやったりしたのね。

それで、スタッフの方にお願いして、まぁインタビューできるほどの英語力はないので、少しだけお話しさせてもらって、番組用にコメントを録らせてもらった。


すごく小柄で華奢な感じのする(おそらく、外見だけでなく、本人の繊細さも滲み出てたんだと思う)女の子で、宣伝のためにあちこち連れ回されたり、言葉も通じない異国人に囲まれて、他所の国の街中で歌わされたりしてたせいで、かなりお疲れだったんじゃないかなっていう印象でね。これはあくまでも僕の印象でしかないけど、彼女は「嫌になっちゃってる」んじゃないのかなって思った。

機嫌が悪いとか、性格悪そうと言うのではないんだ。むしろ健気というか、うまく言えないけれど、こういうことに向かない気質なんじゃないのかなって印象で、そのワリに付いていたプロモーターさんが売り込みに必死でイケイケな感じだったんだけど(もちろん、それがその方の役目であり、大切な仕事をまっとうされてるのではあるが)、あまり長く話をするのは遠慮しておいた。正直、その時に周りの人たちに対して「誰かもうちょっとフォローしてあげてよ」と思いながらその場を離れたのです。


それを思い返すと、その後名前を変えてみたりとか、今現在もSNSとかでそんなに作品やライブの宣伝してないで、なんとなくご自分のペースで歌ってる動画をアップしてるだけというのも納得できる気がした。


それでね、久しぶりにこのアルバムを聴いていると、その時の彼女の持っていた空気というのがありありと蘇るんだな。地下鉄駅の雑踏の中で歌ってる健気な女の子。

『マッチ売りの少女』が実在してたらこんな感じかもしれないな。


だから、最初に地下鉄駅で彼女に目を留めたプロデユーサーが彼女を世に出す時に、音質的な精度の高さよりも、その状況そのままに近い形で送り出したっていうのは、なるほどな~と思う。

どこの誰かは知らないけれど、いい仕事してるなと。


たまにこういうアルバムにお目にかかる事があるおかげで、僕の嗜好はアタマでっかちな質の高さに偏らずに、たのしく過ごさせていただいております。






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