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  • 執筆者の写真辻正仁

#005 Days Like This / Van Morrison(1995)

更新日:2022年3月4日


このアルバムを聴いたのは発表された95年の1年後だったか2年後だったか。

偶然耳に入ってきて知ったのだった。完全に油断していた。

この人のアルバムは何枚か持っていたし「どちらかと言えば好きなタイプの人」だったので、新作が出たなら聴いてみようという感じだったんだが、こまめに動向をチェックするほど熱心でもなかったんだな、それまで。

あと、そんな大御所が頻繁にアルバム出すとも思ってなかったし、それに日本では大々的に宣伝される訳でもないので、発売当初は全く気づいてなかった。


それともう一つ、聴くのが遅れた理由がある。


当時の僕は、邦楽洋楽問わず、ほとんどのものに飽きていたのだ。90年代に入ってからは新しく出てくるロックやポップスは一部の例外を除いてほとんど聴き流す程度になっていき、もう少年時代のように熱心に聴く事が出来なかった。


ニルヴァーナもオアシスやレニー・クラヴィッツも、タイプとしては好きなんだけど、さほど胸ときめいてはいない自分がいて、それよりは世界各国の民族音楽や、色んな国の音楽人が、自分が影響を受けたロックやポップスとその土地に昔からある音楽の融合を試みてるものなどを聴き漁っていた。

その中で一番好んで聴いていたのが、ゴスペル(よく知られるクウイヤものよりもソロを好んだが)とアイリッシュトラッドだった。まぁ、考えてみたらロックのおじいちゃんとおばぁちゃんみたいな取り合わせとも言えるかな? それに多少、ジャズのあんまりお上品じゃないというか、BGMっぽくない奴もこのころからチラホラと聴いていた。

別にロックに幻滅してたわけじゃないけど、自分の中で聴きたい音というものの漠然としたイメージがあって、そこにハマる音楽を探している状態だったんだなきっと。


それで色んなものを聴き漁って、大体自分の好みがゴスペルやアイリッシュトラッドのあたりに落ち着いた頃に、このアルバムを聴いたというのは、なんというかタイミングというものがあるんだな。もしかしたら発表当初に聴いていても、そんなに入れ込んでなかったかもしれないので、僕がコレを聴いた時というのが、まさに僕が聴くのにふさわしい時だったのだろう。

漠然と「もっとこんな感じの」とイメージしていたものがそこに詰まっていた。


正直、ヴァン・モリソンだとは知らずに聴いたのよ。

で、一曲目の”Perfect Fit”を耳にした瞬間に「あぁ、コレだ! コレが聴きたかったんだ」って、まさにパーフェクトにフィットした。

それでアルバムを最後まで聴く事になったんだが、もう胸がときめきっぱなし。一体何年ぶりのことか。


なんちゅうかね、ゴスペル(っていうかソウル)もアイリッシュトラッドもカントリーもブルースも全部あるのよ。それでいてこの人でしかないって言うね。

まぁ、「この人」がヴァン・モリソンだっていうのは全部聴き終わってから知ったんだけど。


それで、自分で持っていた過去の作品をいくつか、何年かぶりに聴き直してみたら、もう聴こえ方が全然違うって言うか、以前はまったくこの良さに気づいてなかったってことに気づく。

そこからはもう、調べるよねヴァン・モリソン。「次のアルバムはいつ頃出るだろう?」とかってのを。


そしたら、ちょうどその時期に次の”The Hearing Game”ってのが出てて、これにまた狂喜乱舞。これが僕の「ヴァン・モリソン大好き」を決定づけた。もう彼なしではいられない。以前の僕には戻れない。


こっからは過去作品を収集しつつ次々出てくる新作を追い求める日々が始まる。

こんだけキャリアあって、これだけコンスタントに作品出し続けてる人も珍しいかもしれない。なので、追いかけるが大変。

ちなみにここ数年はその多作ぶりに拍車がかかり、ほぼ毎年っていうか1年半に1枚くらいの勢いで新作を出しており、現時点(2021年)での最新作は2枚組のボリュームだ。70も半ばを過ぎてこのアレはなんなんだろう?


実はこの”Days Like This”を初めて聴いて以降、自宅で聴く音楽のほぼ7割はヴァン・モリソンである。あとの3割は興味を持ってる他のアーティストの新作をチェックするとか、昔の愛聴盤を聴き直すと言ったところか。


とにかく、このアルバムと続く”The Hearing Game”を聴いて、ビートルズに衝撃を受けた時から始まった、僕のリスナーとしての「音楽の旅」はヴァン・モリソンが終着点なんだろうという確信を持った。それは今でも変わっていない。


若い頃からそれなりに聴いていた筈のこの人の良さに気がつくまで、もしくは自分がこの人を好きになるまでには、結構長い時間が必要で、それなりに音楽に対する感度を磨いたり、その他、ある程度の年齢まで色んな経験を重ねる必要があったのかもしれないね。


もちろん、これからだって色んな音楽を聴いて、喜んだり感動したりするんだろうが、僕にとってのヴァン・モリソンは、そういうものとはちょっと違う。うまく言えないけれど。


このエッセイのタイトルじゃないけど、彼の音楽を聴いている時の「コレが聴きたかったんだ」っていう充足感は、まったく理屈じゃなくて体感的なものと言えるかもしれない。その喜びはちょっと他の人では味わえないんだな。


そういう意味でリスナーとして自分が満たされる音楽を探す旅の終着点はヴァン・モリソンなんです。






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